緩やかな殺意と大袈裟な感情
小学生の頃、母親の再婚がきっかけで義父の実家で暮らすことになった。一階には祖父母と叔父、二階では私たち家族が生活していた。いわゆる二世帯住宅ってやつだ。
しかし二階には風呂がなく、車庫内にある離れの風呂を使っていた。だから増設することが決まったときはすごく嬉しかったんだけど、私が中学に上がってしばらくしてからある問題が起きた。
祖父が風呂を覗くようになったのだ。
しかも、私の時にだけ、だ。
増設後も離れの風呂を使っていた祖父がこの場所にくる必要なんてなかったし、第一隙間から洩れる光とか、水音とか、普通ならドアを開ける前にそういうのに気づくはずだ。しかも普段、和室の襖は開いていて、お風呂に入る時だけ閉めるというルールもあった。だから今考えても当時の祖父の行動は理解不能だし言い訳がきかない。
ある日、和室の襖に『入浴中』と書いた紙を貼ってみた。しかし、というかやはりというべきか、その日も祖父は風呂場のドアを開けてきた。
丁度シャワー中だった私は、驚きのあまり叫ぶこともできなかった。それまでは浴槽に浸かっている時に開けられることが多く、至近距離で対面したのは初めてだったからだ。
『あぁ。入ってるね。』その声にはっとし、勢いよくドアを閉めた。ニヤついた顔が、舐め回すような目つきが、本当に気持ち悪かった。
風呂から出て襖を確認すると、テープで貼りつけたはずの紙が廊下に落ちていた。ぐちゃぐちゃに丸めて床に投げつけても全然すっきりしなくて、怒りと悔しさと不快感でどうにかなりそうだった。
もう我慢の限界だ。母に話そう。
そう思った。
それから数日後、風呂には鍵がついた。義父にどう話したのかはわからないけど、母の配慮だろう。簡易的なものだったけど無いよりは良かった。
それからも鍵の閉め忘れを狙ってドアを開けようとしたり、和室内をうろついているような気配はあったけど、1度大声で怒鳴った時にたまたま近くにいた祖母にバレて叱られたようでそれからはほとんど覗かれることはなかった。
しかし階段を上る時に感じる居間からのねっとりした視線とか、電話を盗み聞きされているような感覚とか、引っ越すまでの5年間、あの家で本当の意味で安らげたことなんてなかった。
出会ったばかりの頃は、普通の人達だと思っていた。血の繋がりはなくとも、普通の祖父母と孫としての関係は築けていたと思う。
しかし、私がここまであの人たちのことを嫌悪するようになったのには理由がある。
そのきっかけはいつだったか、私と姉と妹の3人で留守番をしていた時のことだ。
当時小学校低学年だった妹が突然わがままを言い出し、嘘泣きをした。すると1階から上がってきた祖父は妹の嘘の言い分を信じ、近くにいた姉の頭を軽く叩いた。
当時思春期真っ盛りの姉はそれを払いのけその場から立ち去ろうとしたのだが、祖父はそれに激怒し姉の首を掴み壁に叩きつけた。
それは一瞬の出来事で、私は恐怖で固まることしかできなかった。いつも祖母の尻に敷かれヘラヘラしているだけの祖父がまるで殺人鬼のようだったからだ。
必死に抵抗する姉。泣き叫ぶ妹。その場から動けない私。本当に怖かった。殺されるんじゃないかと思った。
何事かと上がってきた祖母が止めに入ったことで事なきを得たけど、あのまま誰も来なかったらどうなっていたんだろう。今でもたまにそんなことを考える。
だから、あの日のことなんか忘れたかのように普通に生きている彼等をみると私はどうしようもなく苛立つ。
母も母で普段は愚痴ばかりなのに『家族だから仕方ない』という思いが根底にあるようで、冗談まじりの怨言には頷いても、冷たい言葉には『いい加減許してあげたら?』って顔をする。
姉については心の内なんてわからないし、許してなんていないのかもしれないけど、彼女はちゃんと前に進んでいて、過去に囚われることなく今を生きている。
忘れようとしないのは私だけだ。
被害者でもなんでもない、傍観者の私。
何もできなかった私。
……本当に惨めだ。
もう10年も前の話。忘れた方がいい。
そんなことはわかってる。
…だけど、やっぱり許せなくて。
怒り任せにあんなことをした祖父も、
一部始終を見ておきながら隠蔽した祖母も、
仕事ばかりで何もしてくれなかった義父も、
怖くて何もできなかった私も。
全部、全部、許したくない。
無論、もういい大人だし表面上は穏やかな関係でいられるよう配慮している。
嘘臭い笑顔と必要最低限の接触。
正直、偽りの共存にすぎない。
薄情かもしれないけど、
私はあの人達が死んでも何も思わないだろう。
早く解放されたい。それだけだ。